コラージュ人間

 「氾濫するイメージ ― 反芸術以後の印刷メディアと美術」展を観に、うらわ美術館まで行ってきた。赤瀬川原平粟津潔宇野亜喜良木村恒久タイガー立石横尾忠則中村宏つげ義春の作品を展示。蜷川実花展と迷ったんだが、混雑がひどいということでこちらにした。客は僕のほかに4、5人。蜷川さんの方はまた平日にでも行くとする。

 宇野亜喜良横尾忠則の作品はほとんど見たことあるものだったが、今日木村恒久という作家のことを知れたのは本当に大きかった。主に建築写真のフォト・モンタージュをやる人。原爆投下直後の広島の焼け野原の写真に、商業看板を並べるというパンチの利いた風刺には恐れ入った。

 コラージュに魅かれる感性というものは、どこから生まれるんだろうとふと思う。それは、東浩紀がいう「データベース消費」に近いものがあるのだろうか? だが、それがまったく知らないもの同士だったとしても、ただ異質のものが組み合わさってるというだけでおもしろいと思えるときが、しょっちゅう訪れるのである。

 はじめて寺山修司の文章に触れたとき、そこは知らない固有名詞の海だった。だけどもその海で水浴びすることを、僕は心地よく思った。寺山修司は、映像作品は言うに及ばず、その文章ですらモンタージュによってつくる人だったのである。

 川本三郎が、寺山修司の文章を評して

 普通、引用は、自分の文章の強化に行うものだが、寺山の場合は少し違う。引用した文章、あるいはイメージが、ひとつの自立した世界を持っている。ひとつの物語になっている。寺山は、いわば、引用によって、「告白」の湿っぽさを避けるだけでなく、引用した言葉やイメージの背後に身を隠してゆく。
 引用は、いわば"隠れ蓑"である。寺山は、引用から引用へと、まるで"八艘飛び"のように伝ってゆき、「私」を消してゆく。引用のコラージュのなかに「私」を消してゆく。ついには、自分自身が断片を寄せ集めたコラージュのように。
『私という謎』(講談社文芸文庫)p259

 と書き、さらに

おそらく寺山修司にとっては、ほんとうの「私」などあり得なかったのだろう。次から次へと、変装していくうちに、ほんとうの自分なるものが消えてしまう。私の無化こそが、寺山修司の望むところである。

 と書いたのを読んだとき、僕はようやく自分の病気の原因を言い当てられたような思いがした。これによって僕は、寺山と自分が似た者同士であることを確信するにいたったのだった。本当の自分、一貫した自己などというものを鼻から信じることができない。そのため自分自身を語るときに膨大に引用することによって、「自分」などというものを埋没させてしまう。

 僕の手帳は、読んだ本の引用、観た映画、読んだ本のタイトルによって埋め尽くされている。それらは、スケジュールよりもはるかに重要で、しかも常に携帯していなければ気がすまないものである。ちなみに、糸井重里さん企画のほぼ日手帳である。

 僕と寺山の最大の共通点は、東北の田舎を、わけもわからぬまま大都会東京に接合してしまったことだろう。映画『田園に死す』『書を捨てよ町へ出よう』を観ると、その接合が露骨に行われている。